「本当の大人」になるための心理学2

引きこもりおばさんのひとり言です。

集英社新書 諸富祥彦著 「本当の大人」になるための心理学を読んだ感想の続きです。

本当に良い本で、図書館に返したら、購入しようかと考えている。

抜粋 《私たちはただ、人生の一つのことをに心を込めて、無心におこなっていくことしかできません。成熟した大人の人生とは、そんなものでしょう。そんなふうに生きてると、ある時ふと、「ああ、私はこのことをするためにこの世に生まれてきたのだ」という魂のミッションへの目覚めが生じます。》

小学生4年生の頃、校庭の端の鉄棒の前で、暮れていく時間を背に「どうして私は生まれたのだろう」と考えていた私。あの頃の方が、まだ正常だっかのかもしれない。

それからは、人の評価の中にしか自分の価値を見出せず、人に気をつかってばかりの人生だった。今は、セラピストに言われ引きこもり、自分のなかの自分を探している。

魂のミッションへ目覚めらる日は来るのか。

 

「本当の大人」になるための心理学

引きこもりおばさんのひとり言です。

集英社新書 諸富祥彦著 「本当の大人」になるための心理学を読んだ。読むうちにより、内容が深くなり、読み手の人格を高みに引き上げてくれるような感覚がした。読み直したいが、図書館に返さなくてはならない。

ABCDE理論という論理療法が紹介されていた。「実際に起こった出来事」Actualがあって、それによって「感情」Consequenceという結果がもたらされる。例えば、A「周りから無視された」ゆえにC「落ち込んでる」と思っているが、論理療法では、人が落ち込む真の原因は、Belief(ビリーフ、信条、事実の受け止め方)によって感情が作られると考える。
「人から嫌われている人間は価値の劣った人」「分かってもらえない人は価値の低い存在だ」というビリーフがある。このように人を不幸にするビリーフを「イラショナルビリーフ」と言います。なぜイラショナルなのか、
事実でなく、合理的でないから。
論理療法では、これを論ぱくD isputeする。自分を不自由にしているイラショナルビリーフを見つけそれを粉砕する。その結果、その効果エフェクトEffectして、適切で健康で幸福な感情が生まれる。

私は、母の強い支配下で子供時代をおくった。母は私が出かけるのを良しとしなかったのに、「あんたは友達と遊べない」と罵った。「友達と仲良くできない子は価値がない」というイラナショナルビリーフがあったのだろう、私の傷は深かった。いまだに、友達がいないことへの不安は大きい。

友達がいてもいなくても、その人の価値には関係ないと論ぱくしてみたら、夏の空に心が広がっていった。

 

母を守る子

ひきこもりおばさんのひとり言です。

夫と大喧嘩をした。姑についてである。私達夫婦は新婚時代から、大喧嘩といえば、互いの実家が原因であった。我が家門を貶される様な事があれば一歩たりとも引かず、戦わなければならない武士の様だった。いつもは、私が折れるのだが、今回は違った。夫は翌朝長文のお詫びをLINEで送ってきてくれた。そして、「私達には、それぞれ『母親を攻撃されたら守れ』というプログラムがインプットされてるんだね。」と話し合った。これに気づくのに27年かかった。

本来母親は子どもを守るものである。だが、私達夫婦の母親達は、子どもに自分を守らせる人達だった。そのせいで、私達も、私達の子ども達も苦しんだ。私達が気づかなければ、四代に渡るところだった。

夫を送り出し、家を出ると耳を塞がれた様に無音で、低い雲のせいか景色が白く、いつもと全く違う世界に見えた。

ほおずき市

ひきこもりおばさんのひとり言です。

浅草のほおずき市に行ってきた。

焼けるような風に風鈴の音色が幾重にも重なる。沢山の人で色が溢るが、ほおずきの露店だけは、深い緑とオレンジ色が美しい。

浴衣を着た仲良し姉妹。久しぶりに心が踊った。

障害のある次女は背丈が小学生程しかない。感覚障害もあるため、着付けも時間との勝負。二部式の浴衣を買って、娘に合わせ丈を詰めた。動き回る娘を押さえ、なんとか着せることができた。カンカン帽を被せ、履き慣れたサンダルを履かせる。お姉ちゃんを待たせていたので、慌てて出発すると、なんと浴衣の上着だけ左前になってる!電車の中では、恥ずかしくて顔をあげられなかった。次の駅で降り、着替えさせたが、電車を降りる時、矢のような視線を娘の胸元からしつこく外さない中年の女性の顔が頭から離れない。ほっといてくれよー

それにしても、どうして着物だけは着方にうるさいんだろう。若い時、羽織を着てる途中で電話してたら、若いおばさんに後ろから羽織を着せられた。洋服なら何も言われないのになー。男物を着ても、長袖の下に半袖を着ても、洋服ならファッションになる。

着物も時代とともに変わってきたんだから、自由でいい筈なのに。

なんていいながら、あの人のおはしょりは曲がってるだの、えりが抜けてないだのと、いちいち心の中で指摘している、いやらしいおばさんなのだ。私は。

ほおずきの上で揺れる風鈴達に、笑われている気がした。

奇跡の人たち

ひきこもりおばさんのひとり言です。

奇跡の人たちとは、都営アパートに住むAさんご夫婦だ。戦争を生き抜き、大きな交通事故にあった時も傷一つなかったご主人、30代に腎臓を壊し、透析が始まるもずっと同じシャンテを使い続けて元気な奥さん。こんな話なら他にもある。じゃあ何が奇跡なのか。

心理療法を始めた頃、『子供が親のためにいるのではなく、親が子供のためにいる。親は自身を犠牲にすることを全く厭うことはなく喜びに感じるものだ』と言われた。本当だろうか。そんな親いないよ。あっ!いた!Aさんだ!

Aさんは、バスの整備の仕事をして子供二人を育て、家を建てた。ご夫婦仲は良く、ご近所の人を大切にして、幸せに暮らしていた。が、ご長男の事業がうまくいかず、返済のため家を売り都営に越してきた。「皆さんいい方ばかりでいい所に越せて嬉しい」と得意の煮豆を振る舞った。これは、全く強がりで、心中は情けなく、悔しくて悲しい筈だ。ところが、Aさん達は違った。苦労して買った家であっても、子供の窮地を救うのは至極当たり前の事なのだ。70代から始めた書道を楽しみ、身体の許す限り地域活動にも参加して日々を楽しんでる。『本物の親』が実在した事は、私の心理療法に良い影響があったと思う。Aさんご夫婦には感謝してもしきれない。

ご飯を食べさせるのが好きなAさんに、よくご馳走になった。夫に「ほら!」と手伝わせ手際よくおかずが並ぶ。もちろん美味しいのだが、ニコニコしてるご主人の顔を見ながら「美味しいでしょう」と奥さんに言われると、この世にこんな美味しいものはない!という奇跡が私の中に起こる。

本当に奇跡の人たちだ。

 

 

iPhoneの故障

ひきこもりおばさんのひとり言です。

キャリアの乗り換えに伴い、iPhone7を8に機種変した。データ移行してから、やたらアプリが落ちる。そのうちまったく使えなくなった。

不安定になってる娘を託したヘルパーさんとは、LINEだけで繋がっていたので、かなり焦った。docomoでは、分からないとの事でAppleCareに電話した。Appleのお姉さんは「安心してください!私達が問題解決まで全面的にサポートします」と言ってくれた。そうなのよーその言葉なのー!不安障害の私が常に求めている言葉は!

 

無事に娘も帰り、その後LINEもメールも使えなくなったのだが、困ったのはピアノの先生への連絡だけ。さすがひきこもり!ひきこもってて良かったー!

 

けっして強がりではありません。

忖度の責任

ひきこもりおばさんのひとり言です。

忖度という言葉を聞いた時、私のことだと思った。私は人の気持ちを汲んで、その通りにする事が最も居心地良いと感じる人間だった。

友人とレストランに行っても、相手の体調、好み、懐具合まで、情報とレーダーを駆使し計算して自分のメニューを決める。それでもあれで良かったのかと帰宅してから散々悩む。

私がこうなったのは、母親のおかげだ。母は、飴と鞭を巧みに使い私を支配下に置いた。私は常に母の思いを忖度し続ける「良い子」になった。そして、自分を失った。

忖度させた方には責任はないのか。どこかの国の首相がシラを切り通し、いまだその地位に居る様に、母も相変わらず、こちらの状況も聞かず血圧が高いの低いのと、言ってくる。まったく厚顔無恥である。

自分がどこにいるのか分からないと、もがく私にセラピストは「悩んでる、そこにあなたがいる」と言ってくれた。真っ暗闇な海の中、なんとか浮木を掴んだような気分だった。

忖度とは、大事な自分の心を犠牲にして、暗闇の海に飛び込むようなものだと思う。もちろん飛び込ませた方はまったく気づいていない。