忖度の責任

ひきこもりおばさんのひとり言です。

忖度という言葉を聞いた時、私のことだと思った。私は人の気持ちを汲んで、その通りにする事が最も居心地良いと感じる人間だった。

友人とレストランに行っても、相手の体調、好み、懐具合まで、情報とレーダーを駆使し計算して自分のメニューを決める。それでもあれで良かったのかと帰宅してから散々悩む。

私がこうなったのは、母親のおかげだ。母は、飴と鞭を巧みに使い私を支配下に置いた。私は常に母の思いを忖度し続ける「良い子」になった。そして、自分を失った。

忖度させた方には責任はないのか。どこかの国の首相がシラを切り通し、いまだその地位に居る様に、母も相変わらず、こちらの状況も聞かず血圧が高いの低いのと、言ってくる。まったく厚顔無恥である。

自分がどこにいるのか分からないと、もがく私にセラピストは「悩んでる、そこにあなたがいる」と言ってくれた。真っ暗闇な海の中、なんとか浮木を掴んだような気分だった。

忖度とは、大事な自分の心を犠牲にして、暗闇の海に飛び込むようなものだと思う。もちろん飛び込ませた方はまったく気づいていない。